どうしてあの人は
自分から動けるのかな?

身近なあの人は
どうしてスグ行動
できるんだろう?
そんなことを思うことが
ありませんか。

自ら行動することが
難しい人とできる人との間には
行動原理の違いがあります。

  • あの人はなぜあんなに自分から動けるんだろう?
  • なぜ家族がいるのにスパッと会社を辞められたのか?
  • なぜあんなにもポンポンとプロジェクトを生み出せるのか?

そんなふうに思ったことはありませんか。

自ら行動できる人、自ら行動することが難しい人の両者の違いを観察した結果、大きな違いはやりたいことWillに対する「行動障壁の認識」にあります。

例えば「会いたいと思った人に会う」ということに対して、自ら動ける人は”すぐに”アポイントを取りますが、自ら動くことが難しい人はアポイントをとらず会わずに終わるように見受けられます。そして会った方には新たな事が産まれ、会わなかった人は何もなく終わる。

これは一例に過ぎませんが、私たちは日々あらゆるやりたいことの「する」「しない」の判断をして生きています。

そしてやりたいことを極力「しない」を繰り返していった結果、新たな活動をする行動障壁を超えることが難しくなる。更には、自らのやりたいことすら忘れてしまう方がいます。

その一方で、やりたいことを極力「する」を繰り返した方は、どんどんやりたいことが産まれ、更に経験により行動障壁そのものが低下することで行動が容易になっていきます。

本プログラムは、こういった自ら行動できる状態にある人を一人でも増やしたいそんな方々が増えれば社会はもっと良くなるだろうという想いから実施しています。

どうしてWillを
忘れてしまったのか?

私たちは学童期以降、
つまり10歳以前から
学校・会社でWillに基づく
行動を経験してこなかった。

学校ではWillに基づく行動の方法を学ばない

振り返ってみて私たち大人がWillに基づく行動を学んだことはあるでしょうか?
私たちの過去を思い出して、そして今の子どもたちが学んでいる姿を見てすぐ思い浮かぶのは「宿題」です。本人の意思に関わらず、与えられた宿題をやらなければいけないことMustとしてし続けたことから、Mustに対する実行能力は高い状態になっていると思います。
唯一Willに基づく行動を学んでいるとすれば、大学の数年間だけではないでしょうか。このように私たちは、人生の中でWillに基づく行動の方法を学んでいないため、経験者のみにそのノウハウが蓄積されている状態と言えます。

会社でMustの実行能力が強化される

では会社に入ると何が起こるでしょうか?
会社は利益を産み出すことが役割であり、従業員を抱えた会社であれば利益を産み出すためにも、会社にとってのMustの仕事をしなければいけません。
会社員経験がある方の中には「一生懸命提案した新規顧客から1000万円の受注した営業担当者」よりも「淡々とやるべき仕事をした既存顧客から10億円の受注をした営業担当者」のほうが評価された経験をお持ちの方もいると思います。
ただ、これは企業の宿命とも言えることで、その結果会社では自ずとMustの実行能力が強化されていくことになります。

MustがWillを抑圧する

企業におけるキャリアのフレームワークでは「Must・Can・Will(Want)」が挙げられ、重なる領域を広げていくことが企業において目指すべきキャリア開発支援の形と言われてきました。

しかしながら、私たちは学校・会社においてMustの実行が強く求められ生きてきており、Mustを優先するがあまりWillが抑圧されてしまっている。つまり消えそうな火になっていることが「やりたいことが特に無い」状態と言えます。

今なぜWillが
求められているのか?

資本主義の成長が終焉する中、
100年人生を豊かに
生きるために求められるのが
LIFE SHIFTであり、
その原動力がWill。

成長の完了した「高原状態」の社会が到来

山口周氏著「ビジネスの未来」では、この50年近くの間で先進7カ国のGDP成長率及び労働生産性上昇率が鈍化していることが紹介されており、私たちの今を成長の完了した「高原状態」の社会と表現しています。
それを裏付けるように、厚生労働省が公表している資料(※)においても「G7における共通の課題として、近年では実質労働生産性の上昇率が伸び悩んでいる」と明記されています。

※厚生労働省 平成30年版 労働経済の分析「G7における労働生産性の増減率の推移について」

Mustを手放す時期に来ているのではないか

高原状態となった現代、私たち人間がこの地球に降り立ってから初めて”衣食住に困らない”時代となりました。高品質でセンスのいい衣料品がファストファッション店で手に入り、食べたいものも贅沢をしなければ大抵は手に入ります。更に住環境は、人口減少により地方では車の値段よりも住宅の値段が安いケースが出てきています。加えて、国の社会保障により、日本に住んでいて行き倒れることはまずありません。
このような安心安全な社会環境下で、Mustはそもそも存在するのでしょうか。確かに最低限の生活をするために稼がなければいけないこともあるかもしれません。しかしながらその最低限をクリアしていれば、Mustをもう手放しても良いはずです。

視野を広げると問題山積みの現代

その一方で、現代社会は資本主義のもとで解決出来なかった問題があります。温暖化問題、環境問題、ジェンダーギャップ、貧困問題、低賃金にあえぐケア労働など山積みの状態ではないでしょうか。既出の山口周氏著「ビジネスの未来」においても「市場は『経済合理性限界曲線』の内側の問題しか解決できない」と述べられており、市場原理では解決できない問題が残存してしまっているのが、現代です。
身近な例を挙げるとすると、子育てをする共働き夫婦で、収入が高い男性が沢山働き、収入が低い女性が子育てをメインでするということは家庭における経済合理性から見れば妥当とも思えますが、こういった役割分担こそがジェンダーギャップを産み出しています。

100年人生を幸せに生きられるかどうかは本人次第

このような成熟した社会環境の中で、書籍LIFE SHIFTによれば、私たちは100歳を超えて生き、70代、80代まで働かなければいけないと言われています。

あと何十年も生き、働くことが見えている私たち。

「誰かが定めたMustに応える行動」と「自らのWillをもとにした行動」。社会を作っていくためには、どちらも大切ではあると思います。その選択をできるようにしていくことこそが一人ひとりの幸せにつながると私たちは考えています。